SSブログ

[K] 岡村勲弁護士 妻を殺害され法律を変えた男

フジテレビの「奇跡体験!アンビリーバボー」で亡き妻のために
法律を変えた岡村勲(おかむらいさお)さんという弁護士のことが
紹介されましたね。

岡村勲弁護士は妻を殺害されてそれまで死刑廃止論者でしたが
賛成に転じました。

また、同じく妻子を殺害された磯部常治弁護士という人がいて、
この人は妻子を殺されても死刑廃止論者のまま、ということで、
お二人はよく比較されるようです。

この比較をされると、前者の岡村勲さんがクズだとか、自分を貫き通す
磯部常司さんは立派だとかいう話になってくるんですが、磯部さんの
ような方がいるからといって、岡村さんが批判される筋合いはない、と
私は思います。

磯部常治弁護士は、確かに凄い人だと思います。

でも、愛妻を殺されて初めて気づくことがあったら、悪いんですか?
そりゃあ、弁護士というお仕事をしていて、弁護する被告人がいるのだから
逆の立場で被害者や遺族といった人達がいてその人達の気持ちを
理解した上で死刑廃止を唱えていたほうが良かったとは思いますが。

でも、所詮は人間なんです。

間違いもあるし、他人の立場を自分に置き換えることが
できないのも仕方のないことです。

意見を通したとか変わったとか、そんなことはどうでもいいです。

実際に被害者遺族という立場に立った岡村勲さんが、遺族の気持ちを
本当に理解できたその後で取った行動が多くの被害者側の人達を
救うこととなった
、そのことが重要だと思いますが。


テレビで紹介された岡村勲さんのお話は、以下のような内容です。

-----------------

岡村さんは26歳の頃司法試験に合格しました。
妻の眞苗さんと出会ったのはその頃のこと。

その後、2人は結婚し、以来35年、弁護士として多忙な生活を
送る岡村勲さんを眞苗さんは影でずっと支え続けました。

そんな妻を労わる気持ちで岡村さんが久しぶりに妻を食事に
誘った席で、妻から「私と結婚してよかったと思ってる?」
聞かれた岡村さん。

その時は照れくさくて返事ができませんでしたが、その答えの
代わりになればと思い、初めて指輪をプレゼントすることに。

ところがその夜、1997年10月10日、岡村勲さんの妻・眞苗さんが
自宅の玄関先で何者かに殺害
されてしまったのです。

事件から7日後に逮捕された容疑者・北山は、6年前、経営破綻した
山一証券に株の損失を返せという恐喝めいた要求をしてきた人物で、
当時代理人弁護士を務めていたのが岡村勲さんでした。

山一証券に落ち度がないことを確認した岡村さんは
「毅然とした態度で拒否すべき」と忠告。その後、
北山は恐喝事件を2件起こして逮捕されました。

しかし出所後、北山は岡村勲さんを逆恨みし殺害を計画し、
宅配便を装い襲撃。その時岡村勲さんは不在だったのですが
妻の眞苗さんが殺害されてしまったのです。

1998年2月18日、妻・眞苗さん殺害事件の第一回公判が開かれました。

この時岡村勲さんは弁護士になって38年の経験がありました。
しかし、被害者の遺族として傍聴席で裁判にのぞむのは初めてでした。

この時法廷で、岡村勲さんは、傍聴席に座り被害者遺族として
発言できない為に妻を侮辱する言葉に黙って耐えるしかない苦しみを
初めて味わいました。


これまで被告人の弁護をしてきた仕事の中で、求刑よりも軽い判決が
出た時にはその判決に満足感を得ていたが、その一方で悔しい思いを
抱いている被害者の遺族の気持ちを理解していなかったことを思い知り、
自責の念に駆られたといいます。

岡村勲さんの妻眞苗さん殺人事件で、検察側は死刑を求刑。
岡村勲さんも当然死刑を望んでいました。

しかし1999年9月6日、判決は無期懲役でした。

事件から3年、岡村勲さんは犯罪被害者の会「あすの会」を設立。

司法制度の改革を目指し政治家や役人への働きかけをスタートしました。

岡村勲さんが最初に訴えたのは犯罪被害者の権利。

これまで傍聴席で見守るしかなかった犯罪被害者が法廷の柵の中に入り、
裁判に参加できる制度を提案しましたが、法廷は検察と被告が争い
裁判官が判決を下す場であって、そこに被害者の居場所はないというのが
司法の世界の常識となっていました。

そこで岡村勲さんは署名活動を開始し、1年半にわたる署名活動で
全国55万に及ぶ署名が集まりました。

それらを携え岡村勲さん達は当時の小泉純一郎総理のもとへ
直接訪問し犯罪被害者の実情を懸命に訴えました。

すると小泉元総理は犯罪被害者の権利確立について
取り組むことを約束。大きな一歩となりました。そして、
専門家達からの反対意見が相次ぐ中、1年に及ぶ検討会が
終わり、内閣府から基本計画案が送られてきました。

そこには被害者の法廷への参加も被害者への補償もすべて
盛り込まれており、さらに、そこには「裁判は被害者のためにもある」
はっきり書かれていました。

そして2007年6月20日、被害者が裁判に参加できる制度など
岡村勲さんの思いが盛り込まれた法案が圧倒的多数で可決されるに
いたりました。


妻・眞苗さん殺害事件から実に10年が経過していました。

・・・・・・

壮絶な話です。

法廷という場所で生まれる被害者遺族の苦しみが、
裁判に参加できるようになったことにより少しでも
救われるようになったのは、本当に大きなことだと思います。

最愛の妻の死をもって、多くの人を苦しみから救う偉業を
成し遂げた岡村勲さんに敬服します。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。